駒場の今昔
駒場一帯は台地で、かっては駒場野と呼ばれ、笹が一面に生い茂り、所々に松林などがある原野が広がっていました。
そのため古代から中世にかけて東国武士たちの軍馬の放牧地として利用されてきました。江戸時代になると、鳥や獣が数多く生息する駒場野一帯は、鷹狩り場となりました。将軍の鷹狩のたびに、田畑は人馬で荒らされ、そのうえ地元の農民たちは場所ごしらえや道普請、鷹の餌の昆虫集めなどに駆り出されました。
江戸末期には幕府の軍事訓練所が計画され、明治にはいると初めての陸軍観兵式がここ駒場野の原野で行われました。維新後日が浅かった当時、軍事教練のスタイルもイギリス式、フランス式、ドイツ式とばらばらであったものでした。(駒場野公園掲示より)
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