清洲橋通りと清澄通りの交差点より清澄通りを進むと小名木川に出る。この小名木川の隅田川寄りに万年橋があり、万年橋近くには芭蕉庵跡がある。
この小名木川と隅田川の交わる所に芭蕉が庵を構えていた当時の小名木川は田園風景が広がる中の川であり、浮世絵にも描かれた風光明媚な地域であった。芭蕉庵跡近くの万年橋に関しては次のような説明文がある。
−−−万年橋も虹型をした優美な橋で、安藤広重は「名所江戸百景」のなかで「深川万年橋」として取り上げています。また、葛飾北斎は「富嶽三十六景」のひとつに「深川万年橋下」として、美しい曲線を描く万年橋を大きく扱いその下から富士山を望む、洋画の影響をうけた錦絵を残しています。万年橋の説明文より
萬年橋を渡ってすぐ左手に川船番所跡の説明がある。
川船番所は幕府により設けられた番所で、万年橋の北岸に置かれ、川船を利用して小名木川を通る人と荷物を検査しました。設置の年代は明らかではありませんが、正保四年(1647)に深川番の任命が行われていることから、この頃のことと考えられています。江戸から小名木川を通り、利根川水系を結ぶ物流網は、寛永年間(1624−44)にはすでに整いつつあり、関東各地から江戸へ運ばれる荷物は、この場所を通り神田・日本橋(現中央区)など江戸の中心部へ運ばれました。こうしたことから、江戸への出入口としてこの地に置かれたことと思われます−−−−江東区教育委員会
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