高輪海岸の石垣石
ここに展示されている石は、江戸時代に、高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられたものです。平成7年(1995)、高輪2丁目20番の区有施設建設用地内の遺跡の発掘調査で出土しました。石垣には、主に相模湾岸から伊豆半島周辺で採石された安山岩が用いられました。発掘調査では3段の石積みを確認しましたが、最上段は江戸時代の終わり頃に積みなおされたものと考えられます。正面の小ぶりの石が積み直されたものです。3段目から下の石垣は現地でそのまま保存されています。
港区教育委員会
高輪
この地は海より眺めて高台の縄手道から「高縄手」と称されていましたが、転じて「高縄」から「高輪」となりました。古くから海沿いに人家が点在していましたが、江戸初期に幕府が参勤交代のために東海道を整備し、これにより街道沿いに町が広がっていきました。この地域には、高輪大木戸・願生寺・泉岳寺・東禅寺など多くの名跡があります。
町名由来表示より
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