行人坂敷石造道供養碑(区指定文化財)
- - - -この坂を利用する念仏行者たちが悪路に苦しむ人々を救うため、目黒不動尊や浅草観音に参詣し、通りがかりの人々から報謝を受け、これを資金として行人坂に敷石の道を造り、この成就と往来の安全とを供養祈願したことがわかります。施主は西運で元禄16年(1703)の紀年があり、江戸と目黒の社寺を結ぶ重要な参拝路であった行人坂開発の歴史を知るうえに貴重な歴史資料です。 大円寺における目黒教育委員会資料より
八百屋お七の恋人吉三はその後名を西運と改めお七の菩提を弔うため江戸市民から寄進された浄財を基に行人坂の石畳、太鼓橋を石の橋にした。大円寺石碑より
写真に見られるごとくかなりの急こう配でこの坂が雨の降った後のぬかるみであれば大変な難行苦行であったことは容易に想像できる。江戸時代の地図を見ると目黒不動尊と目黒は行人坂でまっすぐにつながり、目黒不動尊から大鳥神社を経由して権之助坂を通って行くと大回りになる。この為に、目黒不動尊の参拝者は急な斜面でも行人坂を利用したと思われる。
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