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都電荒川線終点早稲田−江戸川公園
D関口芭蕉庵



関口芭蕉庵 

この地は、江戸前期の俳人松尾芭蕉が、延宝5年(1677)から延宝8年(1680)まで、神田川改修工事に参画し、「龍隠庵」と呼ばれる庵に住んだと伝えられている。後に世人は「関口芭蕉庵」と呼んだ。

享保11年(1726)、芭蕉の33回忌に当たり、芭蕉の木像を祭る芭蕉堂が建てられた。その後、去来・棋角・嵐雪・丈草の像も堂に安置された。  文京区教育委員会(抜粋)

芭蕉の俳句に詠まれた植物の樹名坂

江戸川橋を起点として神田川沿いに西方約1キロメートルの地域は江戸川公園、新江戸川公園の中間に松尾芭蕉ゆかりの「関口芭蕉庵」を有する風致地区である。俳人松尾芭蕉(1644−1694)は延宝5年(34才)から同8年までの4年間に亘り此処に居住して神田上水の改修工事にたずさわったと言われている。

俳聖と神田上水工事とはまことに妙な取り合わせのように思われるが、彼の前身が伊賀国(三重県)藤堂藩の武士であったことや、藤堂藩(藩祖藤堂高虎以来築城土木、水利の技術に長じていた)が当時幕府から神田上水の改修工事を命じられていたことなど考え合わせると、彼が工事監督として、この改修工事に関係していたことも納得がいくのである。当みどりの推進委員会では、芭蕉にゆかりの深いこの地域を訪ね彼の俳句に詠まれた植物から十二種を選び樹名坂として掲げることにした。東京都みどりの推進委員文京地区会

この十二種の植物として下記が挙げられている。
@サクラ、Aツバキ、Bフジ、Cハギ、Dカキ、Eバショウ、Fチヤ、Gムクゲ、Hタケ、Iシイ、Jカエデ、Kウメ。


この関口芭蕉庵は通常門が閉ざされているが、呼び鈴で中に入りたいとの申し入れをすると中を見せてくれる。芭蕉が全国を行脚して俳句を詠んで廻ったことについて芭蕉が幕府より送り込まれた忍者ではないかとの説があるが、芭蕉の出身が伊賀であることもこの理由の一つになっていると思われる。


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