三崎坂を下ると団子坂下で千代田線千駄木駅になるが、その手前に谷中銀座方向への道と反対側の蛇道への道との交差する「藍染川と枇杷橋(合染橋)跡」がある。下記の説明文の通りこの谷中銀座方向になるよみせ通りや反対側の蛇道は台東区と文京区との区境になっており、この道筋が藍染川に架けた暗渠の通りであり、三崎坂を下りて来た人々が枇杷橋を利用して藍染川を渡ったことが分かる。
藍染川と枇杷橋(合染橋)跡 千駄木2−35先の区境
文京と台東の区境の道路は、うねうねと蛇行している。この道は現在暗渠となっている藍染川の流路である。「新編武蔵風土記稿」によれば、水源は染井の内長池(現在の都営染井霊園の北側低地)で、ここから西ヶ原村へ、さらに駒込村から根津谷に入る。不忍池から上野の山の三枚橋下(公園入口のところ)で忍川となり、三味線掘から隅田川に注ぐ。
川の名は上流から境川・谷戸川(谷田川)・藍染川などと呼ばれた。藍染の名の由来はいろいろある。染井から流れ出るから、川筋に染物屋があり川の色が藍色に染まっていたからなど。
前方の道路の交わるところに、藍染川に架かる橋があった。江戸時代の「御府内備考」や「新編武蔵風土記稿」によれば、この橋は合染橋、藍染橋、琵琶の橋(のち枇杷橋)などと呼ばれた。また旧八重垣町にも同名の藍染橋があった。
川は水はけが悪くよく氾濫したので、大正10年から暗渠工事が始められ、現在流路の多くは台東区との区境の道路となっている。 文京区教育委員会
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