千鳥ケ淵公園前の英国大使館。この建物の前の内堀通はさくらが多数あり。さくらの名所となっている。
(薩摩・長州とイギリス)
日本と英国との結びつきは、薩摩藩士が島津久光の行列に入って来た英国人を切った生麦事件に始まり、薩英戦争となり、薩摩が英国に賠償金を払う際に交渉に当たった薩摩を英国は高く評価し、また薩摩も英国の武器の優れた点を強く認識した為に武器の近代化を図りより強い薩摩へ生まれ変わって行く。
一方、長州は孝明天皇が幕府に攘夷実行を迫った為に幕府に代わり関門海峡を通過するイギリス、アメリカ、フランス、オランダなどの艦船に砲撃を加え、英米仏蘭の連合軍と戦争をし、各国の武器の優れたことを認識して長州の武器の近代化を図った。
このように薩長は外国との戦争を直接経験した為に当時の幕府よりはるかに外国軍隊の強さを認識し、武器・艦船の近代化を図ったことが幕府の軍備との決定的な差になった。
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