江戸時代には増上寺は徳川将軍家の菩提所であり、徳川家康により増上寺の造営が行われたがこの三門(三解脱門)に当時の面影を残す。
三解脱門とは怒り、むさぼり、おろかさを解脱してこの門をくぐり極楽に行けることから命名されたもの。
三解脱門
慶長十六年(1611)徳川家康公の助成により、幕府の大工頭・中井大和守の配下によって建立されたもので、重要文化財の指定を受けている。略称を三門といい、貪欲・瞋恚・愚痴の三悪(三毒)を解脱するという意味からこの名がある。間口十間余(約19M)、奥行五間(約9M)高さ七丈(約21M)の二層建てで、左右に三間(5.4M)の山廊を有している。
様式は、組み物などは唐様を中心とし、勾欄などに和様、天竺様が加味されている。楼内には慶長から元和年間にかけて京仏師によって作られた釈迦三尊像、十六羅漢増などが安置されている。(増上寺掲示より)
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