ゲーテ座跡
明治18年(1885)4月、この地に居留外国人のための劇場「パブリックホール」が開場した。アマチュア劇団の芝居、音楽会等様々な催し物が行われた。設計はフランス人=ピエールサルダで、建坪270坪、地上2階地下1階の赤レンガ造りであった。
明治41年(1908)11月、「ゲーテ座」と改名した。大正12年(1923)の関東大震災で倒壊するまで外国人の社交場でもあった。この前身は、オランダ人ヘフトにより明治3年(1870)現山下町68番地に開設された「ゲーテ座」と名付けられた劇場である。(横浜観光コンベンションビューロー掲示より)
現在は岩崎ミュージアムとして服飾関連品、ガラス工芸品、版画などの展示を行っており、ゲーテ座は新たに地下に造られている。ゲーテは文豪ゲーテの意味ではなく”GAIETY”楽しい賑やかなという意味のゲーテに由来する。
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