都営新宿線小川町駅と丸ノ内線淡路町駅へのA5出口まで来ると秋葉原中央通りへは300M程度で大分近くなる。新御茶ノ水(千代田線)、小川町(都営新宿線)、淡路町(丸の内線)出口一覧、
この外堀通りとの交差点を右折して進むと、神田司町、内神田を経て大手町へ至る。
淡路町1丁目の歴史
江戸時代のはじめ、この地には将軍家と関係の深い寺院がありました。
「寛永江戸図」によると、観音坂を下りきったあたりに「西福寺」「西念寺」が記されています。西福寺は慶長三年(1598)、徳川家康が故郷の三河から呼び寄せた寺です。一説には永禄三年(1560)の桶狭間の戦いの際、織田軍に包囲された家康を救ったのが同寺の了伝和尚で、家康はこの恩にむくいるため、新たな寺を寄進したとも言われています。
寛永年間(1624−1644)にこの二つの寺が移転したあと、ここは内藤伊賀守の屋敷となりました。そして貞享四年(1687)以降は、豊後府内藩主である大給松平家の上屋敷となり、幕末を迎えました。
明治五年(1872)、この界隈は神田淡路町1丁目と正式に名付けられました。この名前は、鈴木淡路守の屋敷があったことから名付けられたという「淡路坂」(現・神田淡路町2丁目)に由来しています。
明治五年当時は、町内のほとんどが華族である大給近道の屋敷地だったと「東京府志料」に記されています。淡路町一丁目町会掲示より
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