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勝どき-築地
A勝鬨橋




勝鬨橋の名前の由来は1905年に日露戦争における旅順陥落を記念して「勝鬨の渡し」が出来たことによる。その後1940年に皇紀2600年の月島に於ける万国博を予定して日本の威信をかけた本格的な橋が架けられた。

この歴史を見ると築地から勝どき・月島への本格的な交通路の開設は1940年で70年程度の歴史しかないことになる。その後に勝鬨橋を渡る路面電車が建設され、勝どき・月島地域は路面電車以外は交通手段が無い時代が長く、孤立された地域であったことが分かる。(有楽町線の月島開通は1988年、大江戸線の開通は2000年。)

勝鬨橋は写真のアーチ型の鉄橋が両端にあり、中央が跳ね橋になっており、大型船通行の際は跳ね橋が開いて隅田川の上流への通行を可能にした。当時としては高度な技術を集めた橋であることから「清洲橋」「永代橋」と共に国の重要文化財に指定されている。

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