赤城神社より更に早稲田通りを進むと神楽坂上交差点で、この交差点を直進すると右手に神楽坂の象徴ともいうべき善国寺(毘沙門天)がある。
善国寺の毘沙門天像 「神楽坂の毘沙門さま」として、江戸時代より信仰をあつめた毘沙門天立像である。木彫りで像高三十センチ、右手に鉾、左手に宝塔を持ち、磐座に起立した姿勢をとる。造立時期は室町時代頃かと推されるが、作者とともに詳しくは不明である。
善国寺は、文禄四年(1595年)徳川家康により創建された。この像は、初代住職である日惺上人が鎮護国家の意をこめて当山に安置したもので、上人が池上本門寺に入山するにあたり、二条関白昭実公より贈られたと伝えられる。
毘沙門天は、またの名を多聞天と称し、増長天・持国天・広目天と共に天の四方を守護する四天王の一つであり、北方を守るとされる。
善国寺の毘沙門天は江戸の三毘沙門と呼ばれ、多く参詣者を集め、特に明治・大正期には東京でも有数の信仰地として賑わった。
東京都新宿区教育委員会掲示より
毘沙門天近くの仲通りと本多横町との間にある芸者新道やかくれんぼ横町にある料亭風のレストランに人気が集まってある。これらの横町は明治・大正時代に泉鏡花、北原白秋、夏目漱石などが良く訪れた地域でレトロの雰囲気がある。神楽坂仲通り、かくれんぼ横町、
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