三軒茶屋交差点より246号線に沿って進むと右手に昭和女子大学の正門が見える。
昭和女子大学の歴史は、斬新華麗な詩風をもって知られた詩人人見圓吉が、トルストイの理想とする「愛と理解と調和」に教育の理想を見出し、緑夫人とともに女子教育の道を歩みはじめたことからはじまります。大正7(1918)年に終結した第一次世界大戦。この怒涛のように荒れ狂う世の中で新しい平和な社会を築くには、自己の進路を見失わない女性、すすんで世のため人のために自己の力を役立てようとする女性の力が必要だという情熱と信念が昭和女子大学の門扉を開きました。-
- - - (昭和女子大学HP 建学の精神より)
日本における女性の活用が世界的に見ても遅れていることは国連からも指摘されていることであり、第一次大戦後の社会でも現在でも大きな課題となっている。永年政治における懸案事項にもなっているが、女性総理が現れて本腰で改革することが望まれる。これは女性が一体となって選挙に臨めば出来ない話ではない。
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