言問通り・不忍通りに交差点より弥生坂を上ると、右手に東大農学部の温室が見え、左手には東大工学部の建物が見える。 弥生坂の名称の由来は、水戸徳川斉昭候が、文政11年(1828)3月(弥生)に、このあたりの景色を詠んだ歌碑を、屋敷内に建てたからという。 名にしおふ春に向かふが岡なれば 世にたぐひなき花の影かな 徳川斉昭 (文京区教育委員会掲示より) この歌が弥生の月に詠まれたことからこの地が弥生になり、この地に土器が発掘されたことにより弥生時代と呼ばれるようになったことは興味深い。