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御成門-増上寺
徳川家霊廟第二代徳川秀忠、お江



徳川将軍家墓所全体
徳川将軍家第2代秀忠(ひでただ)とお江、第6代家宣(いえのぶ)、第7代家継(いえつぐ)、第9代家重(いえしげ)、第12代家慶(いえよし)、第14代家茂(いえもち)以外に皇女和宮(かずのみや)、家光の母、綱吉の母桂昌院(けいしょういん)が合葬。


徳川秀忠(ひでただ)は徳川家康の3男で第二代将軍。長兄の松平信康は信長の命令により切腹。秀忠は真田の抵抗により関ヶ原の戦いに間に合わなかったことでも有名。公家諸法度・武家諸法度を制定した。

お江は大河ドラマで有名になった浅井長政3姉妹の3番目、佐治長政と結婚したが秀吉に反逆したことで離縁、秀吉の甥の豊臣秀勝と結婚したが秀勝は朝鮮出兵で病死、後に秀忠と3度目の結婚をし第三代将軍家光の生母となる。

徳川秀忠は家康の3男で、江は織田信長の姪である為に、二人の子の家光は徳川と織田の双方の血筋を受けていることになる。秀忠は秀吉により命名され、家光の乳母の春日局は明智光秀の家臣の出である。秀忠と家光には当時の有力者との関係が複雑に絡み合っていることが分かる。


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