日本では1964年の東京オリンピックに間に合わせるべく急いで首都高速道路を造ったが、その際に立ち退き交渉のいらない川を埋立あるいは川の上を主として利用した。この為に、東京の景観は高速度道路のような人工の構造物により損なわれて来たが、この日本橋もその一つになる。現在日本橋の景観を再生する為に首都高速を地下に通すことが検討されている。
日本橋は「日本の中心にある橋」との意味で名前が付けられたとも言われているが、江戸時代は五街道の起点でもあり、江戸の賑わいの中心でもあった。
徳川家康は江戸の商業振興の為に大阪より漁業関係者を多数招いて日本橋に魚河岸を造らせた。日本橋の魚河岸は関東大震災により壊滅的な打撃を受けた為に当時土地の開いていた築地に移転されたが、江戸時代に魚河岸があった為に、山本海苔、にんべんの鰹節など魚関係のお店が現在でも多い。
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