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紀尾井町
Aホテルニューオータニ



近江彦根藩井伊家屋敷跡
この地には、江戸時代に近江彦根藩井伊家の麹町邸があり、井伊家は外桜田にあった永田町邸[国会前庭一帯)を上屋敷として使用していましたので、ここは中屋敷として使われました。井伊家は武勇の誉れが高い家柄で、藩祖直政は、関ヶ原の戦いで徳川家康の軍奉行として活躍しました。慶長5年(1600)近江佐和山に18万石で封ぜられ、慶長9年(1604)直政の子直勝の時代に彦根藩主となり近江国等を領地とし、以後、16代にわたって明治維新まで続きました。石高はほぼ35万石でした。井伊家は譜代大名の筆頭であり、大老職に任じられる名家でもありました。幕末に幕政を動かした井伊直弼は、特に有名です。 明治5年、この地域は紀伊徳川家・尾張徳川家・井伊家の頭文字を合わせて、「紀尾井町」という町名になりました。 ニューオータニ掲示より

参考:豪徳寺、井伊家菩提寺

大政奉還と共に大名屋敷は明治政府のものとなり、伏見宮邸となったが、戦後の日本国憲法による華族制度の廃止と共に、華族は一般の市民と同様の生活をすることとなり大邸宅を維持することが出来ず、当時圧延ロール、圧延鋼材、棒鋼、型鋼を製造していた大谷重工のオーナーであった力士出身の大谷米太郎に買い取られた。

ヒルトンホテルがこの地に目を付けて大谷米太郎に買い取りを打診したことから、大谷米太郎はホテルに向いている土地であることを理解し、東京オリンピックに合わせてニューオータニを設立したことは有名。

当時大手のホテルは国鉄(JR)主要駅の前にあり、駅より何分かが決め手であったが、主要駅より離れた赤坂で、しかも赤坂から当時の本館までタクシーで行かなければならないこの地がホテルに向いていることを理解したヒルトンホテルと、この地が本当に理解されるまでには時間が掛かり、その間にホテルを維持・発展させてきたニューオータニに感心させられる。


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