招き猫を祀る招福殿の前を通り更に進み左折すると井伊直弼の墓がある。
井伊直弼(1815-60)は彦根藩主直中の子で、兄を継ぎ藩主となり、ついで嘉永三年(1850)四月大老になる。勅許を持たず日米修好通商条約など安政五カ国条約に調印。また十三代将軍家定の後継者を慶福(のちの家茂)に決定し、反対派の一橋慶喜らを抑えるという強い政策を実施。さらに安政の大獄を断行するに及んで、常に暗殺の危険にさらされ、遂に安政七年三月、江戸城外桜田門外において、水戸・薩摩の浪士らに暗殺された。世田谷郷は井伊家領であり、直弼は豪徳寺に埋葬された。
東京都教育委員会掲示より
井伊直弼関連:ニューオータニ(井伊家中屋敷)、桜の井戸(井伊家上屋敷)、井伊家菩提寺(豪徳寺)、井伊直弼と吉田松陰、
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