清澄通り・春日通との交差点を過ぎると右手に関東大震災および東京大空襲の犠牲者を追悼する慰霊堂や像が建てられている。
関東大震災:
1923年9月1日11時58分に起きた大地震でM7.9、死者・行方不明者10万5千人、当日は関東全域で強風が吹いていたこともあり火災による被害を拡大した。
中でも「陸軍本所被服廠跡、現在の横網町公園」では大きな公園用地として空き地となっていた為に多数の人々が火災の難を逃れるために集まったが、人々が持ち込んだ家財道具に引火して火災旋風を起こし関東大震災の最大の惨事となり、3万8千人が犠牲となった。
関東大震災では他の地域の死者は数百人であったのに対し、本所(現在の両国)では5万人、深川(現在の門前仲町)で3千人と大きな被害を出した。被害の大きかった地域には、銀座・日本橋・浅草も含まれる。
河での死者は1万人となり、隅田川に飛び込んで火災旋風に吹かれた死者が多いことを示している。相模湾と房総半島沿岸では高さ10Mの津波が発生した。
復興事業の主なものは広幅道路整備、延焼を防ぐ区画整備、避難地区として公園の造成、卸売市場日本橋より築地への移転、鉄骨橋梁の建設、上下水道の整備、路面電車の整備など。
東京大空襲:
1944年11月から1945年5月にかけて、特に1945年3月10日の空襲は被害が大きく、この日を東京大空襲と呼ぶ場合もある。特に江東地区の被害が大きくこの1日の死亡者数は7万6千人になる。
1945年3月から5月にかけての空襲で首都東京は廃墟となった。
米軍は関東大震災の被害を詳細に調べて強風の日、火災被害の大きくなる地域などを狙った為に、被害の大きかった地域が関東大震災と重なる地域が多い。関東大震災と同様に隅田川に逃げ込んだ人々は火災旋風により焼死、冬季の気温から凍死する人々も多かったと言われる。
首都直下地震は何時くるのか、@明暦の大火(回向院)、A関東大震災(東京都慰霊堂)、B東京大空襲(東京都慰霊堂)、
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