国会議事堂を左手に見て皇居のお濠まで進むと桜田門で桜田濠を越えて皇居の桜田門が見える。
江戸城の門は、敵の進入を発見する施設であるため「見附」とも呼ばれ、ふたつの門が直角に配置された「枡形門」の形式をとっています。赤坂御門はその面影をほとんど残していませんが、現在でも旧江戸城の田安門や桜田門には同じ形式の門をみることができます。千代田区教育委員会、
桜田門外の変で有名なこの地は、井伊直弼が孝明天皇の勅許を得ずに米国公使ハリスとの間で日米修好通商条約に調印したとして、水戸藩士達に襲撃された場所でもある。
桜田門外の変の際に、井伊直弼は井伊家上屋敷(現在の国会前庭一帯)より警護に守られて出て、わずか数百メートル先にある桜田門より江戸城に入る手前で水戸浪士に襲撃された。
豪徳寺に墓所のある井伊直弼は江戸幕府の開国を推進し、安政の大獄を断行した。一方、松陰神社に祀られている吉田松陰は尊皇攘夷を松下村塾にて教育し、数々の俊秀を生み出し、安政の大獄にて処刑された。
国を思う気持ちから思想が相対した二人は共に幕末の事件により亡くなり、わずか2KM以内の地、世田谷線の駅で3つしか離れていないところを安住の地としていることになる。参考:東急世田谷線宮の坂駅-豪徳寺、豪徳寺−松陰神社、松陰神社-松陰神社境内、
参考:井伊直弼の墓所豪徳寺、ハリス公使館跡麻布十番善福寺、米国公使館跡、
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