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赤羽橋-増上寺
芝丸山古墳





東京都指定史跡、芝丸山古墳

全長106メートル前後、後円部径約64メートル、前方部前端幅約40メートル、くびれ部幅約22メートルほどの、都内最大級の規模をもつ前方後円墳である。標高約16メートルの台地端に位置し、前方部を南南西に向けている。- - - -

前方部が狭く低い形態や、占地状態などから5世紀代の築造とみられており、そのころ、付近の低地の水田地帯に生産基盤をもち、南北の交通路をおさえていた、南武蔵有数の族長の墓だったと考えられる。   東京都教育委員会掲示より


5世紀代とのことなので大和朝廷時代に多数造られた古墳の一つと思われる。

丸山貝塚
芝公園内の丸山と呼ばれる丘陵の東南斜面に貝層が残存している。まだ正式の学術調査が行われず、古くから著名なわりにその内容が明らかでない。表面的な観察によると、ハイガイ・ハマグリなどの海水産の貝殻から成るものと思われるが、従来文化遺物があまり採集されていない。わずかに安行式土器片が発見された事実から、縄文時代後期の貝塚と考えられるにとどまる。丸山の丘上には大型の丸山古墳が造られているので、破壊されているところもあるが、斜面に残る部分は都内の貝塚研究のため重要である。   東京都港区教育委員会

芝丸山古墳は縄文時代の貝塚のあった場所に大和朝廷時代になって古墳が築かれたことになる。


参考:東京の古墳としては芝公園内の丸山古墳、田園調布に近い亀甲山古墳があり、両方ともに前方後円墳で、等々力渓谷の横穴古墳より前の古墳時代に造られたものになる。

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