飯田橋交差点に架かる歩道橋より右手の水路に沿って進んで小石川後楽園や水道橋へ。
歩道橋の右手には神田川があり、神田川を遡ると飯田橋交差点から左折して首都高速に沿って江戸川橋へ。俳人松尾芭蕉(1644−1694)は延宝5年(34才)から同8年までの4年間に亘り江戸川橋に近い関口芭蕉庵に居住して神田上水の改修工事にたずさわったと言われている。
外堀水面の高低差
江戸城外堀跡は、現在一部が埋め立てられていますが、かつては湧き水や玉川上水の水を満々と湛えた水堀でした。起伏のある山手に位置する外堀では、堀の水深を一定に保つため、牛込・市谷・四谷門橋と食違土橋(弁慶濠と真田濠との間にあった江戸城の門)に堰が設けられ水位が調整されていました。このため、水位の最も低い神田川につながる牛込門東側と水位の最も高い真田濠では水面に20mもの差がありました。新宿区による外堀跡説明文より、
外濠:外濠水面の高低差、江戸城外堀跡(市ヶ谷濠)、鍛冶橋交差点 、日比谷入江埋立と神田川、神田川と仙台堀、徳川幕府と東京、徳川家康江戸到着当時の地形と現在の地図との比較、江戸城外濠全体図、
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